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*当ページは秋山現信個人のHPであり、鹿島アントラーズ、並びに小笠原満男選手とは関係ありません。その他問題等があればご連絡下さい。
このページは、東日本大震災における今後の支援活動に繋げたく思い開設いたしました。 開運寺住職 秋山現信 合掌
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平成二十三年五月一日 運立会通信より

四十九日が終わりました

 三月十一日午後二時四十五分。もう凄く昔のようにも感じますし、昨日のようにも感じます。
 気が付けばもう五月。季節はだいぶかわりました。

 東日本大震災が起こったのは、水戸の橋本さん甲御講の日。帰山して、着替えパソコンの前に座ってまもなくのことでした。異常な揺れを感じて、とにかく本堂に走りました。
  今でもそのときの行動は思い出せませんが、前机まで登り御尊像に抱きつき、おさえました。
  本堂内のお道具は総て飛び散り、愕然としましたが、本堂は無事。とにかく本堂から出て、境内を見回ろうとしたとき、裏のJRの社宅の方達が悲鳴を上げながら境内裏に避難してました。
  社宅自体が倒壊の恐れが有り、途方に暮れておりましたので、私は開運寺を解放し、避難所とすることを決断。幸い会館の被害は最小限だったので皆さんを会館に誘導。しかしながら会館の耐震も解らないので、皆さんには「会館に避難しても責任はとれません。こちらも余震でどうなるかは解りません。それでも良ければ?」と話しました。
  自治会長から、「解りました。それでもお願いいたします。」との言葉で約一五〇名を受け入れが決定。
  お寺に有るだけの、布団、毛布、座布団、寝袋。総て提供し、また幸いなことにお寺には、キャンプ用品がたくさんあり大活躍。

  また一番の問題である生活用水は、コンクリーで固めた井戸を壊し、バケツで水を交代でくみ上げました。下水は使えましたので、トイレは確保。それ以外のライフラインは寸断されてました。

  当日は本当に寒かった。しかしながら、ここでローテクが大活躍。昔ながらの反射ストーブがお寺に三台有り、早速火をともし、会館に置きました。今度は食事の問題ですが、お米は沢山有ったので、カセットコンロで炊き出し。お寺に避難していた、御信者さん(篠崎さん)を中心におにぎり。若いお母さん方は釜でご飯を炊いたことがなく一同に感心。今では笑い話ですが、本当においしかったです。

  少し落ち着き、市役所に。開運寺が避難所に成っていることを伝えに行きました。一五〇人という大所帯に市役所も驚き、直ぐに公式な避難所にして下さり、十二日からは飲料水だけが届きました。
  詳しくは私も、避難者も皆覚えていませんが、食べ物は有りました。

  生活用水も男性方が交代でひたすら井戸水を汲み上げ、大きなバケツに入れ、それをトイレに置き、流しました。 しかし地震の影響で、今までの綺麗な井戸水がかなり濁り土が混ざっているため、沈殿するのを待つことに成りました。三日目からはかなり落ち着きましたが、ここで大問題発生。福島第一原発の爆発です。当時風向きは北風。いわき市に屋内待避。自主避難という訳のわからない指示が流れました。(テレビ等の報道ではなく、実際に市の広報車、防災無線で呼びかけ)

  水源からは放射能も検出。大パニック。とにかくいわきの信者さん達を避難させることに決定。しかしながら、ガソリンが有りません。

  ガソリンのある方は、自分で避難。幸い皆、水戸までのガソリンは有ったので、開運寺まで来ていただきました。 開運寺では、避難してきた妙運寺の小さい子供達を、先に避難してきたJRの子供達が面倒をみたり、お母さん方が今度は避難者を受け入れる側に回って下さいました。

  お父さん方は、甚大な被害を受けた庫裡の瓦の撤去作業。逆に避難所にさせていただいたことで、私が本当に助けられました。数は力、と言うように、隣の関さん宅に落ちていた瓦も、皆さんで撤去して下さいました。
  又、横浜妙深寺が直ぐに支援体制を整えて下さったおかげで、 いわきの佐々木さん家族は妙深寺に私がお送りし避難しましたが、東北では、津波の被害に遭い亡くなった信者さんも多数。
  一番の問題は、避難できた方がその後、肺炎や過労で亡くなる事態が起こりました。

  とにかく寒さと飢えの問題。想像もしなかった事態です。 水戸から、とにかく東北に向けて、灯油、軽油、食料の輸送です。しかしながら私はこの時点では、避難所になっていたので動けず、石崎裕子さんに相談。何時もお世話になっているバス会社の社長に頼み込み輸送の開始。有るだけの物資を東北の寺院に送りました。横浜妙深寺、相模原、妙現寺からのトラックも加わり、応援態勢が出来上がりました。しかしながら又問題。当時東北は雪。四輪駆動でスタットレスを履いているのは、開運寺のワゴン車だけ。海岸線の道路が津波や原発の問題で通行不能なため、中通り(国道四号線)からの峠越えのみ。

  釜石の支援は開運寺が行う以外有りませんでした。 今思うと、何を送ったのか、何時どれだけ物資を送ったのか皆覚えてませんが、本当に皆感謝の気持ちでいっぱいです。

  話がだいぶ前後しますが、三月二十一日のお彼岸は、十数名の信者さんしか御参りできませんでしたが、JR社宅の方々が(一週間で避難所は解消)沢山御礼参詣して下さりまた大掃除もして下さいました。
  JR下社宅自治会より十万円の御礼を頂きました。私も何回もお断りしたのですが、御礼をお布施と書き換え持ってこられましたので、これを受け取り、東北の支援資金に回させていただく旨を伝え受け取りました 本当にこちらが助けられたのにありがたいことです。

  今回の震災で、開運寺が場所や物資を、御町内に提供させていただいたおかげで、その後の東北の支援活動もご近所の方々に仕分け作業や積みこみを手伝って頂、今までにない関係ができました。

  話が本当に前後して申し訳ありませんが、妙運寺の話に戻ります。
  原発問題で妙運寺信徒の八割くらいが、一都九県に避難、しかしながら、三十`圏内に関わらず、避難できない信者さんも出てきました。
  四ツ倉の能勢妙子さんもその一人です。
  一人息子の能勢敬治さんがさんが、東京電力の社員で福島第一原発で働いて居るのです。
  「息子を置いて逃げられない」とのこと。四ツ倉は津波の被害もひどく、又原発の問題で、物資も届かなく完全に孤立してしまいました。
  こちらの支援は、原発の問題(放射能問題)が有ったので人には頼めず、私が行きました。(能勢さんには放射能問題が有ったのでこないでくれと言われましたが)

  水、食料、生活必需品を詰め伺いました。すると居ないはずの小さな子供達も居るのです。事情を聞くと、お父さんが消防署の職員とのこと。家族が離ればなれになるのが嫌で避難しないのです。
  涙が出てきました。私はもう四十五歳を超えましたので良いですが、子供達が・・・ とにかく能勢さん宅の近所にも物資を配りました。特に飲料水は大量に全国のお寺より支援していただいたので、豊富に開運寺には有りました。次から次へいわきでの水配りです。
  いわきは、本当に原発の影響で水道の普及率があがらず(資材や応援が全国からない)

大変な状況でした。やっと九十lまできたのに、四月十一日の余震。振り出しに戻りました。
  私も十一日の余震にいわきであい、帰宅難民。やっと少し落ち着いたのに・・・・・

  現在の開運寺の状況ですが、被害を調査すればするほど甚大です。
  まず本堂は外壁が崩落。余震で内部の壁にも亀裂確認。建物は大丈夫。しかしながら庫裡が使用不可能です。庫裡側に地盤が二十七p移動。擁壁、土台にも亀裂。現在色々な業者に相談してますが、修復不能大です。建物本体が有るため、擁壁が直せません。このままだと倒壊の恐れありとのことです。
  現在ほぼ総てのライフライン機能が使用不能です。
  会館奥の教務員宿舎も傾いており、風呂場等は使用不能です。その為、大奥様は近所のアパートに非難されています。

  今までの経過を大まかに記しましたが、今後の課題山積です。また、調査が進むにつれて、信者さん方の被害も甚大です。幸い運立会信徒よりお亡くなりになった方がいないのが不幸中の幸いです。

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